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OTACTURE

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脚本:吉岡たかを

絵コンテ演出イシグロキョウヘイ 演出:黒木美幸

作画監督:奥田佳子、河合拓也、野々下いおり、高野綾、小泉初栄、伊藤香織、高田晃、浅賀和行(演奏)、愛敬由紀子(総)

Aパート。バラード第1番の起伏ある曲調に沿う形で、明暗入り混じる物語が展開される。悲愴感漂う第1主題と、明るく軽やかな第2主題。この対称的な二つの主題の反復に物語の展開が追随する。

演奏後半、一面に青空が広がる公生の心象風景のシーン。

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上のように曲調が変わるごとに展開がひとつずつ進んでいく。第1主題の始まりとともにかをりが現れる。悲しみに満ちた曲調にかをりの現状を察する。しかし、彼女は最後まで明るく、天真爛漫にあろうと願う。そんな想いに導かれるかのように、演奏も第2主題へと移行する。そして、最後は再び第1主題に戻って、かをりとの別れとなる。

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かをりが登場するシーン。最初はこちらを向いていない。後ろ向きの状態から振り返ってこちらを見る。後ろ姿は去っていく者の象徴だ。彼女はもうこちら側の者ではないのだ(このアングルからの振り向きはラストシーンにおいて再度見ることになる。こことラストが対応している)。

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演奏を始めるかをり。ここで第2主題に入る。最後のデュエットは明るく楽しくありたい。そこにおいて、ふさわしいのは第1主題ではなく、軽快な第2主題だろう。

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最初のうちは公生は事態を受け止めきれないでいる。そんな彼にかをりはデュエットを誘うかのようにヴァイオリンを奏でる。構図に着目すると、ダッチアングルの傾斜が“かをりから公生に”向くようにつくられているのがわかる。

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ここでも“かをりから公生に”動作の方向が伝わっていく。ヴァイオリンの弓を右へ強く飛ばす。続くカットではその勢いを受けたかのようにして、公生の運指が右へ下降する。

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駄目押しの真正面アップショット。想定線上からのショットは「相手をこちらに振り向かせたい」という想いを強く宿す。この真正面からの表情を受けて、公生もようやく彼女の願いを受け止める。

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そしてここで曲調がスケルツァンドへと移り変わる。両者の意思疎通の過程に演奏がしっかりと合わさってくる。二人のデュエットには何よりもスケルツァンドが相応しい。

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ダッチアングルの傾斜も先ほどとは反対になり、“公生からかをりへ”向けられる。それに伴って、両者が密着的にスライドされ、二人の距離が徐々に近づいていく。もはや、かをりからの一方通行ではなくなった。

モンタージュは公生からかをりへ、そしてかをりから公生へ、カメラワークやディゾルブを交えながら円環していき、二人が相互に影響を与え合っているように演出する。最後のデュエットを第2主題とともに色鮮やかに描き出す。

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そして、第2主題が終わり、日が暮れ始める。カメラの動きも止まる。再び悲しげな第1主題が復帰する。別れの時が迫っていることを曲調の変化がそれとなしに告げる。

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スライドで遠ざかる二人。

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ダッチアングルも“公生からかをり”という向きに対して抵抗をつくっているのがわかる。この直後、かをりは光を放ちながら消えていく。

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上昇と下降を激しく繰り返す演奏。ただ演奏しているだけには見えない。まるで、かをりに幾度となく手を差し伸べようとしているかのようだ。公生の想い、憤りや焦りが運指と連動する。かをりに近づいては離れ、近づいては離れの繰り返しを見ているかのよう。

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かをりが消えていなくなる直前。一気に下降し、かをりから大きく遠ざかる。公生の想いに反して、彼の指が音階を駆け上がる様子を映すことは決してない。ここでの運指はかをりの側に近づくことを決して許さない。

最後は上昇音とともにかをりが消滅する。手を差し伸べたが間に合わなかった。激しく上昇・下降する演奏がかをりに近づきたくても近づけないという公生の想いを代弁する。

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最後。下へとゆっくりと下降するカメラワーク、下に重心のある構図、下に滴る涙。「下」を強調する。

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そしてここで上昇音。かをりがいなくなった今となっては、無意味な上昇かもしれない。しかし公生の想いは未だ消え去っていない。諦めきれない。彼はただひたすらにかをりに近づきたいと望む。

そして演奏終了。公生のアップショット、「さよなら」の言葉とともに幕を閉じる。映すのはそれだけ。そこに観客の歓声はいっさい入らない。悲嘆に暮れる彼のもとには観客の声は届かない。

◇◇◇

Bパート。かをりからの手紙を読みながら「同ポ」や「マッチカット」、「アクションつなぎ」といったトリッキーなワザを使って回想へとつなぐことで、現在と過去の出来事が入り混じっていくかのように、モンタージュを構成していく。

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同ポ。公生が今歩いている場所は、かつてかをりが駆けていった場所。同じ場所を連続的に映すことで、まるで彼らがすぐそばにいるかのように印象付ける。

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マッチカットによって、現在の公生と過去の公生を直結させる。まるで公生が時間や空間を自在に渡り歩いているかのように演出する。

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ここも同様。まるで公生の前をかをりが歩いているかのように、モンタージュを繋げていく。

現在から過去へ。回想によって、「断絶」をつくらないように、まるで過去と現在が地続きであるかのように、二人がすぐそばにいるかのように、演出を設計していく。公生の知らないかをりの過去は、公生のすぐそばで起こっていた。その事実が上記の演出によって、確固たるものになっていく。

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公生がかをりと初めて出会う回想シーン。同じ公園で、現在と過去のアクションを繋げることで、断絶を消す。振り向けばすぐそこにかをりがいるかのようにモンタージュを繋げる。公生にとって忘れがたい、即座に思い出せる光景であることを、このように断絶を消すことで表現する。

公生は手紙を読みながら、度胸橋を、線路の沿線を、そして公園を歩いていく。一か所に留まらない。そうして彼は思い出のつまった場所を、時間を渡り歩いていく。

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しかしここで公生は歩みを止める。ここまでの手紙の内容はかをりが公生に出会うまでの話。ここからは公生に出会ってからの話。かをりが公生と過ごした日々を書き連ねる。その内容を読む公生を長回しで撮る。公生の表情が一喜一憂する様子を映していく。演出がガラッと変わる。回想シーンへ飛ぶことはない。愚直に、かをりが公生に向けた想いを、公生はただただ噛みしめていく。噛みしめるための長回し。ここでカットを割って感情を飛散させない。ひたすら長回しで手紙の言葉を受け止める。

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通じ合っている(意識が向き合っている)二人は「横」的に繋がる。ピアノを弾く公生に対して、様々な時間軸から語りかけるかをり。ここまで色々な時間を渡り歩いてきた展開がここに対応・集約される。

そしてここでかをりの「私は君の心に住めたかな」という台詞が入る。演出が「同ポ」や「マッチカット」、「アクションつなぎ」で二人の間をシームレスにつないでいったのは、この台詞のためにあったのかもしれない。かをりは公生の心の中にたしかに住んでいる。だからこそ、回想への移行は淀みなく、そこにはいっさいの断絶がない。

カットがひとつ変われば、かをりのいた頃に戻れてしまうかのような「近さ」を演出に落とし込む。公生の心にかをりが住んでいる、その言葉をそのまま演出へ変換する。

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カットを割って向き合っていた二人がここで一つのフレーム内におさまる。フレームという断絶がはらわれる。ここですべての断絶が消え去る。ここまですれ違っていた二人だが、こうして最後にしっかりと向き合って話す。

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正面を向いたら別れの時だ。Aパートでかをりが現れたときと同様に、彼女は振り返り、後ろを向く。そして、線路の向こう側へ消えていく。

しかし、公生の住む街にはかをりの生きた痕跡に溢れている。そうした痕跡を同ポによって感じ取り、アクションつなぎによって追体験する。そのようにして、かをりは公生の心に生きる。Bパートの演出は、かをりの「忘れないでほしい」という願いをそのまま形にしたかのように見えた。かをりの願いを、そして公生の心象を、映像へ確かに刻んでいたように見えた。永遠の別れを経てもなお、すぐそばで寄り添っているかのように、モンタージュが積み重なっていた。これもまた嘘と言えば嘘だろう。しかし、「美しい嘘」の形だ。そんな『君嘘』らしい幕引きに、息を飲まずにはいられなかった。

素晴らしい作品でした。ありがとうございました。