GrabDuck

ちょいヲタ日記 >また図書館に_

:

樋口真嗣監督トークショー in アリオ八尾 前編 21:25 樋口真嗣監督トークショー in アリオ八尾 前編を含むブックマーク 樋口真嗣監督トークショー in アリオ八尾 前編のブックマークコメント

f:id:choiota:20160813153339j:image

8/6に大阪のアリオ八尾で開催された「樋口真嗣監督トークショー in アリオ八尾」を見に行ってきたので、伺ったお話をまとめました。

Twitterでも書いたのですが、文字数制限が邪魔で端折った所もあったので、もう見ることもないと思っていたはてなダイアリーの管理画面を開くことにしました。

関西人にとっても行くのにそれなりの決心が必要な場所(八尾の人ごめんなさい)にまで出向いたのは、勿論樋口監督からシン・ゴジラについての裏話が聞けると期待してのことだったのですが…長くなりますが、ご興味のある方はどうぞご覧ください。

16時から開始されるイベントに15時過ぎに到着したのですが、流石に先着100名の座席は整理券配布終了していたため、客席真後ろに立って待機しました。

いよいよ16時、開演前に司会者がシン・ゴジラを観たかどうかを質問しました。実に会場の9割以上が観ていました。

そして樋口監督登場。続いてサブカル好きタレント中村葵さんが紹介されました。

樋口監督が挨拶で浜村淳の物真似をしようとして盛大にスベった後、赤井孝美氏の登場となりましたが、紹介の仕方が「樋口監督の『古くからのお知り合い』でいらっしゃる赤井孝美さん」という、観客が知っている前提というなかなかのハイレベルなイントロとなりました。

ガイナックスとかプリンセスメーカーとか言うまでもないよね、という圧をひしひしと感じたのですが、実はアリオ八尾ではガイナックスメンバーのトークショーは何度か開催されているので当然かも知れません。

11/23・24、大阪アリオ八尾にて「トップをねらえ!祭」開催!トークに上映、ゼネプロ新商品もあり!

週末はアリオ八尾で「アオイホノオ×GAINAX」イベント&ショップ

第一部 樋口監督のルーツを探る 「八岐之大蛇の逆襲」

まず、樋口監督が「初めて参加した作品」として「八岐之大蛇の逆襲」が紹介されました。

監督曰く「一応プロフィール的には84年のゴジラなんだけど、(ゴジラは)アルバイトで参加してたので…」との事です。

赤井氏によると、「八岐之大蛇の逆襲」は「空の大怪獣ラドン」に憧れて制作したとの事でした。

樋口監督が参加したのは、共通の知人である山口宏氏(脚本家)が「東京に樋口という特撮で使える男がいるので僕が大阪に送り込みます」と言っていたと赤井氏。

樋口監督は東京のDAICON FILMの上映会で庵野監督と出会い、山口氏が「こいつは東宝ゴジラでプロの仕事をしている」と口から出任せを言ったから。という事で、どうやら山口氏の紹介&口車によって青春18きっぷ大阪に行くことになったようです。

赤井氏によると、樋口監督は、怪獣の首を吊るのをテグスではなくピアノ線に変えたりスクリーンプロセスを導入、必要に応じて小型サイズの八岐之大蛇パペットを作るなど技術的な指導を行い、またミニチュアに対して「汚し」を入れるセンスが当時から良かったとの事です。

スタッフの部屋に戦車の砲塔のセットを作って撮影している写真を見て、「ゴジラでも戦車が出てきて斎藤工君で撮った時もこんなだった。同じことをしている」との事でした。

そうやってできたミニチュアを河川敷や鶴見緑地に持って行って撮っていたそうです。

撮っているとお巡りさんが来て「何やってんねや?」と聞かれ、「学生で映画撮ってます」と答えると「危ないことしたらあかんで」、これで済む時代だったそうです。

「多分あれは許可を取ろうとしたら絶対取れなかった。取れない許可は取らない方が良い」というのが樋口監督の教訓だそうです。

ミニチュアの撮影で失敗・撮り直しがあったのか?という問いに対して

発泡スチロールのミニチュアの破壊が良くなかったので石膏で作り直したことがあった。

石膏は固まるのに時間がかかるので、撮影場所で作る必要があり、淀川河川敷の土手で前の日から石膏で作り、一晩乾燥させてから撮影しようとして朝行ったら、(ホームレスの人のブルーシートから)炎が上がっていた。

3班に分けて、消防を呼んで誘導する係、葦を刈って破壊消火活動をする係、撮影用の物品を隠す係で対応したことがあった、という話で爆笑となりました。

スケジュールや〆切など無く、いつまでも特撮を作り続けられるパラダイスのような日々…

けれどそんな夢のような日々も、いつかは醒める日がやってきます。

「八岐之大蛇の逆襲」が終わるとき、大阪のスタッフたちは、みんな東京に行ってアニメを作ると言い出し、樋口監督が大阪にいる理由が無くなってしまいました。

しかも、長きにわたる大阪生活でお金が無くなった樋口監督は、ゼネプロにお金を借りていました。

そこで、後にガイナックスの初代社長となる岡田斗司夫に「借金チャラにしてやるから東京アニメを手伝え」と唆され、ナニワ金融道のように判子をついてしまった樋口監督は東京に帰り、「オネアミスの翼」をやることになったのでした。

オネアミスの翼」予告編

樋口監督「これまたインチキなんですよね」

赤井氏「当時流行ったアニメと言えば『風の谷のナウシカ』でした。そこで宣伝方針として『なるべくお客さんがナウシカ的な映画と勘違いするように』というのがあって…」

樋口監督「予告編を作った時にはあ本編は殆ど完成しておらず、使っているのは1カットだけでした。完成した映画は全くの別物で、愛で奇跡は起こりませんっていう話でした。」

王立宇宙軍 オネアミスの翼 [DVD]

というところで、オネアミスの話が終わり、司会と舞台袖からガメラの話に移るよう振られるのですが、樋口監督も赤井氏も「ここからガメラは時代が飛び過ぎててねぇ…」と渋り、そのまま話を続けたのでした。

オネアミスが終わった後、樋口監督は「結局自分はアニメに向いてない」と思っていたのですが、そこで実相寺昭雄氏が「帝都物語」を撮るという話を聞きました。

ウルトラマン実相寺回に心酔していた樋口監督は「これは歴史が変わる」と思い、スタッフのオーディションを受けて採用され、ガイナックスを辞めたそうです。

帝都 Blu-ray COMPLETE BOX

そうやって戻った特撮の世界である「帝都物語」でしたが、やはり実写の世界でも思ったようにはいかなかったそうです。

次に「孔雀王」という日本香港合作映画に入ったのですが、これがグダグダだったため、現場で大暴れしていたのを香港プロデューサが見かけ、香港に呼ばれたそうです。

幻の「犬猫大戦」

香港で制作されていたのは「犬猫大戦」という映画でした。

地球で遭難した宇宙人が、そのままでは地球環境で生きられないため、最初に遭遇した猫の身体を借り(光の国からもそういう人が来てましたが…)世界中に飛び散った宇宙船のパーツを探すことになったのですが、それらは世界中の博物館に収められていました。

世界中の博物館を襲い、次々と元宇宙船のパーツである遺物を回収していたのですが、香港の警察がそれに気付き、宇宙人憑依猫を捕えるために香港一の警察犬を用意します。

物語中盤、宇宙猫と香港警察犬の対決シーンは、香港側の監督が撮影することになったのですが、何故か異様にリアリティに拘る監督の思惑で、本当に犬と猫を対峙させて撮影することとなりました。

勿論、両者が本当に闘わないように、引綱などを調節していたのですが、想定以上に首輪から身体が伸びたためにリアルバトルとなってしまい、主役の猫さんが残念なことになってしまったそうです。

これに激怒したのが猫好きの香港人プロデューサー氏。

香港人監督は、即日クビとなりました。

香港人監督と主役猫がいなくなり、閑散とした大セットだけが残された現場で、香港人Pに「樋口、お前何か撮れ!」と言われましたが、「このままでは香港から帰れなくなる」と思い、泣きながら東京に逃げ帰ってきたのでした。

ふしぎの海のナディア

東京に戻ると再びアニメの仕事が待っていました。

それが「ナディア」です。「なんでもいいからやらせて」と言った樋口監督に、ラストを盛り上げるために集中したかった庵野監督は、後半をがっさりと樋口監督に渡したそうです。

優秀なスタッフとして摩砂雪氏だけを付け、後は脚本を守って自由にやっていい、ただし使えるのは海外スタッフのみ、という条件でやることになりました。

けれどもNHKからの脚本は「好き嫌いはいけない」といったような、とんでもなく説教臭いものだったのです。

そこで樋口監督は、脚本の結論だけを合わせて、内容については全部真逆でやることにしました。

好き嫌いがダメという話であれば、好き嫌いをせず毒キノコを食べてラリッちゃうような…

これがかの有名な「ふしぎの海のナディア」島編だったわけです。

予算の都合でどうしようもない時に樋口氏に依頼することは、岡田斗司夫氏も「樋口真嗣君がやってくれるとある程度本当になんとかなっちゃうんですよ」と書いている通りのようです。

樋口監督曰く「あれは放送テロだった」そうです。

ふしぎの海のナディア Blu-ray BOX【完全生産限定版】

そんなこんなで半年特撮、半年アニメをやっている間に仲間もできて一本出来ると思った樋口監督ですが、その途中でアメリカに行き「ウルトラマンパワード」に関わり、また泣いて帰ってくる羽目になったそうです。

この波瀾万丈の20代について、樋口監督は「荒れてる現場だから主導権を取れると思って乗り込んだら、やっぱり荒れてて逆に翻弄されてた。荒れるには荒れるなりの原因があった。でも、荒れてる現場だからこそ20代のチンピラが現場に入ることが出来た。」と術解されていました。

そして、「ガメラをやってやっと一人前の監督として認められた。それは徳間(康快)さんのおかげだった。」と話を締めたのでした