GrabDuck

バベルの塔または火星での生活

:

| 「ビッグサンキュー」の謎(?) - バベルの塔または火星での生活 を含むブックマーク 「ビッグサンキュー」の謎(?) - バベルの塔または火星での生活 のブックマークコメント

「ビッグサンキュー」の謎とその解釈の変遷

新譜『ラヴァーマン』。発売からの約2か月、ほぼ毎日のように聴いてきました。

ネットではさまざまなな感想・解釈が出ていることでしょう。いろいろな方の思いに左右されないうちに、自分の思うままを書き留めておきたかったのですが、しかし、私事のとてつもない忙しさにかまけ、まったく感想を書けないままでした。

そろそろ多忙が一段落ついてきたので、ではそろそろ感想でも書こうか、と馴染みのブログへ行ってびっくり。どうやら「ビッグサンキュー」に関してだけは、先に書いておかなければならない事態となりました。

オリジナル・ラブ『ラヴァーマン』最大の謎「ビッグサンキュー」に挑む(ドラ泣き篇)
http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20150729/doranaki

オリジナル・ラブ『ラヴァーマン』の楽曲構成を考える(3)~違和感の正体に迫る!
http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20150712/OLL3

盟友(と、あえて言います)rararapocariさんのブログ。ここはまさに「オリ馬鹿たちの知の結集」と呼ぶにふさわしく、田島愛に溢れた方々が集い、侃侃諤諤とさまざまな解釈を繰り広げる場です。しかし、このブログにおいて、「ビッグサンキュー」への解釈が非常に拡散していることに、素直に驚きました。

たしかに「ビッグサンキュー」は、なにも考えずに聴けば、『ラヴァーマン』全体の中では「違和感」を感じる曲かもしれません。しかし、たった一点「あのこと」に気づけば、けっして奇を衒った曲でなければ、ましてや「イロ物」でも「捨て曲」でもないことがわかります。田島はようやくこのタイミングでこの曲を発表することができたのですし、後述するように、その間に流れた時間のことを考えるとむしろ涙さえ誘います。

もちろん、「あのこと」に気づいていないのは、rararapocariさんだけという可能性もあります(^^;)。しかし、あれほど自由に解釈を思いつき、しかもまとめあげる能力を持ったrararapocariさんでさえ気づいていない、ということは、もしかするとまだ「あのこと」に気づいていない方は意外と多いのかもしれません。

「あのこと」に気づいている方にはかなりもったいぶった言い回しになっているでしょう。そう、単なる「あのこと」です。しかしそういう方こそぜひ、改めてrararapocariさんのブログを読んでみてください。

この中でさまざまな解釈を思いつくrararapocariさんには、素直に尊敬の念が湧きますし、なにより強い愛情を感じます。このようなさまざまな解釈ができるということは、翻って言えば、「ビッグサンキュー」という曲がその人の人生を写し出すことができる「普遍的なポップス」であることの証左なのだと思います。この曲の深い可能性を感じさせてくれるのが、rararapocariさんの一連の記事なのです。


「2曲目」に期待していたこと

(「あのこと」に気づいている方は、いい加減まだるっこしいはずなので、このセクションは飛ばして構いません)

さて、自分も「あのこと」にすぐに気づけたわけではありません。

アルバム『ラヴァーマン』は、タイトルチューン「ラヴァーマン」から始まります。ORIGINAL LOVEにおける「1曲目」の重要性というのは、何枚かアルバムを聴いた人であれば、とても大きいものであることを知っていると思います。1曲目が「シングル」で、かつタイトルチューンというのは、これまでのORIGINAL LOVEのアルバムの中でも初めてのことです。

「ラヴァーマン」に対する田島の思いというものは、今回のインタヴューの中でも折につけ触れられていた話です。それだけの曲を「1曲目」としているアルバムには、否が応でも期待が高まるものです。

「1曲目がタイトルチューン」というと、マーヴィン・ゲイの "What's Going on"が自然と連想されます。

タイトルチューンであり1曲目の'What's Going on' はもともとシングルとして発表され、この曲を元としてアルバム全体が作られました。結果としてソウルミュージックの中でも類まれなる「名盤」が誕生したのです。

このアルバムの2曲目といえば、'What's Happening Brother'という曲でした。「イントロダクション」としての1曲目が終わってこの2曲目が始まると、いよいよこの稀代の名盤の中に踏み込んでいくんだ、というワクワクした感覚になります。

https://www.youtube.com/watch?v=Jb_MCzuFtg8

'What's Happening Brother'はピチカート・ファイヴ時代の「惑星」の元ネタとなった曲で、田島とも因縁浅からぬ曲*1田島が新譜の2曲目にどういう曲を持ってくるのかということは、アルバムを聴く上での大きなポイントになるだろう、と勝手に期待を高めていました。

ところでその「2曲目」に対して、自分はマーヴィン方向ではない、別の見当をつけていました。それはたぶん、ローリング・ストーンズのような感じで来るのではないかと思っていたのです。ストーンズのアルバムも「1曲目」にアッパーなチューンを持ってくることが多いです。そして「名盤」の誉れ高いアルバムのいくつかは、その「2曲目」にちょっと緩やかな曲を持ってくるというパターンがあります。

具体的には、"Beggars Banquet"の 'Sympathy for the Devil'(悪魔を憐れむ歌)の後に、ブライアン・ジョーンズの乾いたスライドギターが光る'No Expectations'が来るような感じ。

https://www.youtube.com/watch?v=ONymOaZ-IQ8

だから、シングルとして耳慣れた「ラヴァーマン」の次に、ブルージーな「ビッグサンキュー」のイントロが流れたとき、まさに「キタ!」と思ったのです。

"Stickey Fingers"で 'Brown Sugar' のあとに 'Sway'が来る曲順もとても大好きなので、2曲目にこういう緩い曲が来たというだけでもうハッピーになれたのでした。違和感どころか「名盤確定」くらいの気持ちです。

それにしても'No Expectations'とは田島も渋いなぁ、と最初のうちはのんきに考えていました。

そして「あのこと」に気づくカタルシス

発売から1週間くらい経った頃、アルバムを聴いた人と会話する機会を得ました(ネットではなく対面の会話です)。自分とも趣味の近かったその人は、「2曲目はオーティス・レディングっぽいね」と言ったのです。

自分はストーンズで頭がいっぱいになっていてそのことに気づけずにいたので、「なるほど!」とすぐに同意しましたが、そのときはそれだけ。それ以上に話は発展しませんでした。

けれども、なにか大事なヒントをもらった気がしたのです。家への帰り道でそのことがふと思い出されて、考えてみました。

そして、「ビッグサンキュー」というタイトルを思い出したときに、まさにカタルシスが訪れました。

(ここで溜めます)

オーティス・レディング、と言われたときにすぐに気づくべきでした。

なんのことはない。「ビッグサンキュー」とは、忌野清志郎へのトリビュートだったのです。

https://www.youtube.com/watch?v=8o58ib6Mmxc

Otis Redding - Try A Little Tenderness

https://www.youtube.com/watch?v=UnPMoAb4y8U

清志郎の2009年5月2日の訃報から、はじめての田島の日記。

http://diary.originallove.lolipop.jp/?eid=434

キングの曲が頭の中でずっと鳴っているよ。キングとすこしだけ一緒に過ごした楽しい思い出が強く蘇っている。キングがオレに話してくれたくだらないかっこいい話で思い出し笑いしたよ。ステージの上で布団を冠って寝ていたキングが、同じ衣装を着ていつまでも寝ていたよ...。あとは言いたくない。そのうち言うかもしれない。

自分が知る限り、田島が清志郎の死について語ったのはこれだけです。

そしてこの「そのうち」が、ついに訪れたのです。

田島はデルタブルースがやりたかったのではなく、清志郎へのトリビュートとしてオーティス・レディング風の曲を作ったのでした。

(清志郎とオーティスの深い関係については、自分がくだくだと書く必要などなく、ちょっと検索すればたくさんの解説が見つかるはずです)

改めて歌詞を読み直してみる

そのつもりで聴いてみれば、この曲の歌詞はまったく不可思議なものではありません。

このまま行くよ / しばらくは会えない / 泣き顔隠したふたり

この「ふたり」は言うまでもなく、清志郎と田島です。田島の一方的な思いなのかもしれませんが、われわれはこのふたりがどれだけ強い絆で結ばれていたかを知ることはできません。知る限りでは、2004年のNHKでの収録が、二人の唯一の共演だからです。

2004/11/11(木) NHK総合「夢・音楽館」第63回 出演

http://originallove.g.hatena.ne.jp/keyillusion/20041111

しかもこの放映では、ほぼ「初対面」だったような印象さえあります(郡山でのRCのライヴを観た思い出を田島が嬉しそうに話していたのを、清志郎が「君だったのか」と茶化すシーンがあった)。

さて、rararapocariさんをして「難関」と言わしめたこの箇所。

さよならの向こう側へ / 旅だったね / きみはぼくからもう自由なのさ

(※「旅だった」はさすがに「旅立った」だと思います)

「きみはぼくからもう自由なのさ」というのは、はたして「ぼく」の独りよがりなのでしょうか?

上でも書いたように、二人の共演はごく限られていたので、田島と清志郎のプライヴェートな関係というのは、われわれ部外者からはわかりません。けれども、もし2004年が初対面だとしても、約5年間は交流の時間があったはずです。「後輩」である田島のことをなにかと気にかけ、かわいがっていた清志郎を想像するのは、それほど難しいことではないでしょう。まさに「優しくしてくれて いつも許してくれて」いた人だったわけです。田島としては「世話になりっぱなし」という思いだったのかもしれません。

それが「さよならの向こう側」という決定的な死の別れによって、「ぼく」が「きみ」に迷惑をかけることがついになくなったのです。つまり、「きみ」が「ぼく」から「自由」になったのです。この歌詞はそのことを"祝福"しているのではないでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=XaKt1nYNhmg

もちろん、以上の「解釈」が絶対唯一なものではないことは、言うまでもありません。お前の妄想である、と片付けてもらっても構いません。なにせ田島がインタヴューなどで、直接言及しているようではないからです(全部チェックしてないので、もしあるのなら教えてください!)。

しかしこれまでの例を考えると、自分からそういうことを語ることはないと思われます。それは「アポトーシス」が、ある男たちへの挽歌であることを、今となっては知る由がないのと同じことです。

マイレヴュー その8『ビッグクランチ』 第3回(全3回)
http://originallove.g.hatena.ne.jp/keyillusion/20070918/myreview

(「ビッグクランチ」ツアーの田島が、この曲で目に涙を浮かべていたのが忘れられないのですが、今回「ビッグサンキュー」でどういう顔をしながら歌っていたのかが観られなかったのは、とても残念でした)

「ポップス」は人生の鏡。聴いた人それぞれが、自分の人生を反映した解釈を自由にできることこそが、かけがえのないことなのだと思います。田島もきっとそういう部分を大切にして曲を作っているのだと思います。

(蛇足)

清志郎との共演の時、「JUMP」をカヴァーしているのですが、「希望のバネ」の「思いきりジャンプしよう」というのは、このオマージュなのかな?(これはかなり妄想)